広島ホームテレビ「あした記念日」

"あの日"があるから"今"がある。僕の映画人生まだまだ稚拙な作品ばかりではあるが、そんなテーマの「あした記念日」に寄稿させて頂きました。広島ホームテレビとYunokihara君ありがとうございました。

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http://tan-su.com/contents/11hiroshima/

「人生は積み減らすべきだ」と芸術家の故・岡本太郎氏が言っていた。財産や知識などを蓄えれば蓄えるほど、人間は“自在さ”を失うのだと言う。
人生とは積み重ねて行くものだ、と考えるのが普通だと思っていた。でも、米国で映画の制作に携わるようになった今、振り返ってみると、僕自身も「積み減らす」ことを選んできたように思う。

僕は中学三年の時、ニュージーランドへ交換留学に行かせてもらった。生まれて初めて
日本という国を出て、外の世界に触れた。自分自身の至らなさに気づき、いずれは世界で勝負できる人になろう、ほかの人と違う生き方をしよう、と心に誓った記憶がある。
仲間とともに試行錯誤しながら、映画の自主制作にのめり込んでいた僕は、高校卒業とともに、踏み出した。映画の都・ハリウッドのあるロサンゼルスの短大に進学した。日本で生まれ、育ってきた“19年間の積み重ね”を置いて。

僕の英語力は当時、日本の普通の高校生と変わらないレベル。授業では何を言っているかわかならない、必死に友達を作ってノートを見せてもらっても、課題は到底終わらず眠れない、人に自分の言いたいことすら伝えられない。毎日が、もどかしく、苦しかった。
それでも、より良い映画監督になるためにと、ビバリーヒルズにある演劇学校に足を踏み入れた。英語すらままならないうえに、それまで演技の経験もゼロ。何度も逃げ出したいと思ったが、だからこそ、学ぶことも多かった。今、自分の演出の土台になっている。

風土に慣れ、ネットワークも広がった3年後、無事に短大を卒業した僕はあえて、ロサンゼルスを離れた。新たな活動拠点をニューヨークに定め、4年制大学に編入した。また、ゼロからのスタート。初心に返るべきだと思ったからだった。

奮闘を重ねて4年が経ち、僕は、かねてからの夢だったカンヌ国際映画祭に卒業制作の
短編映画を持って行くことが出来た。渡米から8年目のことだった。今、こうして振り返ってみると、初めての海外で世界の広さを知り、自分自身の未熟さを感じたニュージーランドへの交換留学が、僕にとっての「あした記念日」だったのかもしれない。
「人生は積み減らすべきだ」。
過去の栄光など捨て、これからもみんなの心を揺さぶれるような映画を作っていきたい。