広告と私

広告、殊にテレビCMというと一般的に、トイレ休憩、メールの返信、最近では30秒スキップのボタンがリモコンにあったりし、CM製作者以外しっかりそれを見つめる人というのはなかなかいないように思います。私は映画製作というバックグラウンドを持ち、人を描くことに細心の注意を払ってきたつもりであります。

大学の卒業制作を作る時、作品は最長十分と決められていました。感動する作品を撮りたいと思っていたので、普通の二時間映画と比べ、十分ではとても人物を描ききれず観客を感動に巻き込めないと半ば諦めていました。その時、ふと昔母親が何かのCMを見て涙を流していたのを思い出しました。たった数十秒で人の心を動かすことができるなら十分もあれば相当なことができるはずだ、と思いがけず勇気付けられた記憶があります。それから個人的に感動したCMを集め、それらが持つ共通分母には何があるのだろうと、その核を抽出してみようとしました。そしてそのエッセンスとは、「一生懸命に心から何かを欲する姿」ではないかという結論に達しました。田舎に住むおばあちゃんが生まれてきたばかりの孫に一生懸命に薬を届けようとする姿、障害を持つ子が一所懸命にお母さんに向けて歌うその姿、どうしても勝ちたいその試合、あの子とキスしたいその衝動、その欲するものは何でもいいのです。とにかくそんな姿は他の人を感動させます。

広告とは、ある商品やサービスを人々に売る為、知ってもらう為にあるのが基本だと思いますが、そのリモコンのスキップボタンを押す手をふと止めてしまえるような、心に届く広告、CMを作りたいなと思います。街、電車、テレビ、ネットでと、右を向いても左を向いても広告で溢れ返る今日、人々は踊らされ、嫌気さえさしている気がします。私は広告を通して、何かを届けたいというクライアント、そしてそれを享受する人々との間で、健全なコミュニケーションと一種の安らぎのようなものを届けられたらなと思っています。

Nov. 2012. yh