初舞台監督。「A Streetcar Named Desire」より。

燃え尽きたー。一瞬灰になっていたね。

ここ一ヶ月半程、Play、つまり舞台の監督をしていました。そのショーが月曜日にやっと終わりました。
演目はTennessee Williamsによって書かれた名作、「A Streetcar Named Desire」確か日本題では「欲望という名の列車」だったかな?一度エリア カザンによって映画化されてます。

今回は1890年以降のNaturalism、つまりナチュラリズム、日常を描いたファンタジーとかではない作品を1シーン監督するということでした。
今回舞台を監督するというのは、今まで少しは映画を監督してきたとはいえ、全く持って別物なので本当にアップアップでした。最初の方なんて逃げ出したくてたまらなかったわ。
目から入る情報だったり、ビジュアル的な美を追求するのは僕の中では割と勝負していけるので、映画では必ずしも演技のみに頼らなくても雰囲気を構築したりできるのだけれど、舞台というのはカットカットでつないでいくわけではなく、そこにあるものだけでのショーになるので、会話だったりがメインになるわけです。

前も書いたかもしれないけれど、日常会話こそできても、役者にその英語という言語を巧みにコントロールして、一通りどころか、それで伝わらなければ二通りも、十通りもかけて、あの手この手で僕の目指すビジョンを伝えなければならない。母国語だけあってもちろん彼らの方が話せる訳で、なめられて終わったら最悪だなと思っていたけれど、だんだん信用をおいてくれるようになって、この一ヶ月半リハーサルを重ねてきました。

まずは二人のキャストを選ぶのに二日かけてオーディションして、60から70人くらい見ました。英語でハンデがあるなら、しっかり良い役者を見つけないとなと思って目を光らせて見ていたら、もう一発でこの子とこの男だと見つけました。Markは他の役者より一つ抜き出た質をもっていて、なぜみんなこいつを選ばないんだろうと疑問に思っていたよ。Yoiraは経験は浅いのは見えるがポテンシャルが光っていたのでその二人にかけました。演劇学校で切磋琢磨してきたのと今までの経験から、少しは役者の質を見抜けるようになってきたのでは自信が出て来たところで、これが結果に結びついた。

今まで色々なセットで働いてきて常に監督を見つめて来て、もちろん映画の監督には色んな仕事が含まれていますが、演劇指導をしていなかったり、できていない監督をたくさん見て来ました。ただどう歩くとか、あとは、もっと悲しく、もっと怒って、泣いて、とか感情をそのまま指示してるだけじゃん、みたいな感じです。

今回David Willingerという教授からは、監督に関して本当にたくさんのことを学んだ。
役者の、Objective (目的)、Obstacle(障害)について。
感情は、その結果現れるものであって、誰も悲しもうとして悲しむのではなく、その状況が悲しませている。つまりCircumstanceをしっかり大切にすること。
Prop、小道具が、役者に選択肢を与えるという意味で大変大きな役割を果たすこと。
衣装も役者の入り込みに多大な影響をもたらすということ。今回は50年代のニューオリンズでの話なので、衣装も借りてきて着てもらったら、やはりすごく入り込みが変わったね。
それから映画とは違って、常にその場で見ているお客さんのことも頭の中に入れた上での、ステージの立ち位置、使い方。
セットの配置に関してはスペースをなるべく作って、役者に選択肢を増やすこと。

まぁこれはほんの一握りのことだけれど、僕のノートにはぎっしりメモが詰まっている。
リハーサルの時間の中で、様々なことをexamine, exploreした。いつも彼は、使えないかもしれないけど少しでも可能性を探る為に、あらゆることを実験、試してみなさいと言ってくれていた。悲しむ=泣く、としか頭になくて最初から決めつけてしまわないで、そこでその対局にある、笑うということを試してみたらどうだろう。もしかしたら使えないかもしれないけど、もしかしたらそこから何か見えてくるかもしれない。

気がついたら、テクニカルな部分ばかり書き進めていて僕のメモにしかなっていないかも。さて、このエッセイをまとめよう。
作品を自由に撮るといつも「ふんわり」とした雰囲気に仕上がってしまうのが僕のテイストなので、今回は自分の可能性を広げようと言うことで、激しい言い争い、いわゆる男と女の修羅場を選択した。Act III, Scene III.

クラスに20人くらい監督がいて、もちろん母国語が英語でないのは僕だけで、そういった感情の深い部分までいくディスカッションとかに引けをとっているのは自分でも痛い程わかっていて、自分の至らなさにどーんと落ちる日も多く出てきて、ここまでのクラスではこいつの作品は期待できないなという空気があって、あぁ俺には監督は務まらない、少なくても舞台は無理かもしれないと思いへこんでいた先の第一作品目。

本番を迎えた月曜日。

ショーが終わって、そこに「生きて」「存在」しているかのような素晴らしい演技を見せてくれた役者を讃えて、教授から批評をしてもらう時に、彼の目には涙が溜まっているのが見えた。

それは俺が頑張ったこととかに対して泣いていたのではなく、純粋にその舞台のワンシーンを見て、そこで起こっていたドラマが心の琴線に触れたと言ってくれた。他の誰の作品でも涙を溜めているのは見たことがないので、これはもうこれはめっちゃ嬉しかったね。

僕はステージ上で演技はしていないのだけれど、それと同じくらい全精力を使った気がした。
燃え尽きた後の灰になっていた。
その後のプロダクションの授業で友達に会ったりとかしたけど、オーラが無になってるけどどうしたの?って言われていた。笑 

無になっていたわ完全に。
ただこれで燃え尽きちゃっちゃあどうしようもないので、そのクラスが終わる頃までには気持ちを整理して、また前進できるようにセットしました。

もう次の作品の撮影が一週間後に迫る!やばいまじで。
でも期待大!まじで。