映画上映、写真展のオープニングの成功と、たくさんのありがとう。

映画のスクリーニング、写真展のオープニング、今晩無事終わりました。

思えばここに焦点を当てて、ここ数ヶ月僕の持てる全ての時間を費やして来ました。休日返上も何もなく、朝から晩まで映画のこと、写真の作業に没頭。
一度や二度なら適当な言い訳で済ませられるが、色んな友達からの誘いに何十回も断りのNOを言い続ける日々は何かすごく厳しかった。洋介ノリ悪くなったな、私たちのこと嫌いになったの?なんていう言葉ばかりで、そういうつもりじゃないんだけど、どうしても納得のいく作品を撮りたかったのでそういう方向を選んだ。

今日蓋を開けてみたら、おおよそ70-80人くらいの友達が会場に足を運んでくれ、作品を見てくれた。会場は満タン。もうめっちゃ嬉しかったね。

結局上映の15分くらい前まで編集作業の詰めが続き、見てもらう時には久しぶりに緊張しちゃった。でも上映が終わるともうたくさんの温かいハグをもらって、そしてみんな話しに来てくれて、ここが良かった、あれが良かったなんて笑顔をきらきらさせて言ってくれるもんだから、もう最高に嬉しかったね。きっと何かが伝わったんだと思う。
この作品の趣旨である、Pourtonのデザイナーであるshoheiさんも気に入ってくれたみたいでこれは一番良かった。DVDか何かの形式で、ブランドのイメージングカタログなんかを出せたらカッコいいですね。是非やりましょう。なんだかんだで、カフェで出会って、いつか一緒に何かしましょうね、という会話から、まず一本の作品を作り上げるまで、ここまで来ましたからね。

生きるとは、コミュニケーションするということなんだなって最近強く思います。
いくら良いものが撮れても、誰も見てくれなかったらそれまで。

僕らは、見て、聞き、話し、触れて、愛し、そうやって他人とコミュニケーションする。最近、福島智さんという視力も、聴力も完全に失ったが、今東大で教授をしている方の存在を知りました。彼は指のタッチでコミュニケーションをします。ただ、僕らと違って見えない、聞こえない為、その誰かの指に触れていない限り真っ暗なのです。宇宙空間にぽつりと一人で浮遊してるのと同じです。でもそれは同時に、ほぼ存在していないのと同じだとおっしゃっていました。その通りだと思う。
誰かがいての自分なのです。
僕らは見えて、聞こえるので、普段そんなことを忘れてしまってるようですが、それはまったく一緒で、自分一人じゃあ存在していても、存在していないのと同じようなもの。よく、他人が自分を形成している、他人は自分の鏡なんて言うけれど、これらはあながち嘘ではないんだなぁと思いました。

だから何故僕はこう全ての時間を捧げてまで映画、写真の製作に没頭しているのか、よく考えてみると単純に、みんなとコミュニケーションする為に、即ち、生きる為にやっているのです。
よくタフで、オープンだねなんて言われたりしますが、実は僕は人より少し寂しがり屋で、弱いのかもしれないなぁなんて思ったりもしました。こうして小さなコミュニティーに留まっていられず、外へ外へ、新しいところを求めて行くのは、一人、二人では足りず、よりたくさんの人に見てもらえて、より多くの人と話していないと満たされない、だからそういうマスとコミュニケーションができるメディア、即ち、映画、写真というツールを使うことを好むのかななんていう解釈、これもあながち嘘ではない気がします。昔、練習の嫌いなバンドをたくさんやってたのもそれに当てはまる気もします。

少し、上映会とは違った部分を掘り下げてしまったけれど、とにかく今回は良かった。
ここには日本語で書いたけれど、自分の変化として、アメリカ5年目にしてようやく国籍が関係なくなって来た感があります。日本人の友達もなんだかんだで多かったけれど、NYに移ってから本当に色んな国の人と隔たり無く遊ぶようになった。日本語を話す機会がぐっとなくなった。ワールドシティズンの時代が来るのだと思う。

最後に、来てくれたみなさん、本当にありがとうね。

p.s.
今回の写真展の成功から、次回へ繋げる為に、今また新しい写真のプロジェクトに取りかかります。つきましては、一週間後の6/8から25日まで、一人でヨーロッパ回って来ます。良い作品を作って、今度はもっと大きなエキシビションを開けると良いな。
スペインのマドリッドから入り、フランス、イタリア、もしかしたら、オランダ、ギリシャ、ドイツ、ポーランドあたりも行くかもしれません。
現地で誰か落ち合えたら最高だね。いる人、行く人教えて。
それかおすすめの場所なんかも教えてくれたら嬉しいです。

細井洋介