水の表情ー写真展を振り返って

ヨーロッパを3週間弱回って、先日帰ってきました。
今回の旅、本当に感じることの多い旅で、まだ自分の中で消化しているところであります。書きたいことは山ほどあるのだけれど、時期が来たら書こうと思います。

今回は、始めて写真展に入選できた時の作品をようやくウェブにのっけられたので紹介しますね。
水の表情と題した7枚から成る作品なのですが、写真展用には、mizu 01, 02, 03の3枚で構成して提出しました。

ウェブはこちらです。写真展で実際に来場者用に書かれた文章を日本語訳してあるものを以下に載せておいたので、写真の裏に込めたアイデアが知りたい方は読んでみて下さい。
http://fotologue.jp/yfactory0000#/9551179/9551375


『私は、水の側でぼうっとそれを眺めていると、とても心の落ち着きを感じる。
一度たりと同じ瞬間はない。美しいと思った瞬間も、次の瞬きまでにはその表情を変えていく。
水というのは、時には綿帽子でそっと包んでくれるように優しく、時には私の心の様に荒れ狂う。

父は私に洋介と名付けてくれた。
太平洋の『洋』に介護の『介』。
太平洋の水の様に大きく深く包み込む様な、そして困っている人にそっと手を差し伸べられる、そんな人間になりたい。

移り行く水を見ている時は、リアルな時間を過ごしている。しかし、こうして写真に収めることで、その眺めていた五分、一時間が、一瞬の出来事として形を変える。点になるのだ。芸術は時間を止めてしまう行為なのかもしれない。ただ、こうすることで、私が眺めていて、美しいと思ったその"瞬間"をみなさんと分かち合うことができるのではと願う。

遠足や、学校で勉強に追われる日々、バイトなどを思い出してみて欲しい。
思い出というのは、実際、現在進行系の"線"を体験している時よりも、それからしばらく時間を経てからの"点"の方が、あぁあの時は楽しかったなと人は思うものである。

この写真一枚一枚は次の瞬間には消える。永遠ではなく終わりが見えた時に、それは一層輝き出す。

私たち人間には必ず死があり、時間が有限であるからこそ、芸術、哲学が産まれるのだ。終わりがなければそんなものは必要はない。
私たち人間に与えられた時間は物凄く短い。だからこそ、あたかもそこにずっとあるような、大きな存在、"水"に惹かれるのかもしれない。

普遍的で、いつまででも眺めていられるような、そういった作品を目指した。

Yosuke Hosoi
The City College of New York
4.30.09』