美と映像編集

Beauty(美)についてエッセイを書くのにだいぶ時間を費やすことになったこの週末。
結局昨日の朝6時までかけて、部屋に明かりが差し込む頃、とりあえず終えることができた。
簡単なようで難しいこのトピック。
美とは何か。
僕はSubjectivismという立場を取ることにした。
ここでもう一度振り返るのはめんどうなので簡単に言えば、全ての人が同一のものを美しいと思うものが美であると主張したプラトンらFormalistに対し、ヒュームやカントなどのSubjectivistはそうではなくて、美しい絵や音楽が私たちのイマジネーションを誘発して、そのイマジネーションが暴走することも行き詰まることもなく自由に駆け巡ることで喜びを導き出し、その喜びが美であるとした。こういったイマジネーションは私たち誰もが持つもので、共通のものである故に、美は主観的であり普遍的でもあるとした。
美を想像力の働きのみに求めることで、芸術体験がそれだけで自立した体験になる。
哲学とは何だろう。
やらなくても問題はないのにね。
結局は私たちの人生をより豊かにする為のものであるべきなのだろう。
色々考えるいい機会でもあった。

そしてスロースタートになった今日は夕方からJosephの家までこの間撮った映像の編集に行った。
まぁ今学期最初のプロジェクトなので難しいことはなく9時頃には切り上げた。
そしてバスで帰ろうとしたところ待っても待っても来ない。
真っ暗の中もう無理だと思ってJosephに確認してもらうと、そこから出る最後のバスはもう行ってしまっていた。
El SegundoからSanta Monicaまでだいぶあるのにどうして帰ろうか困ってしまった。
そして出た結論はLAX空港まで歩いて、そこからバスをとることにした。
車が猛スピードでとばす真横を一時間は歩いて走った。
歩道もないのでちょっと横見をされたら完全にお釈迦。
空港からの最後のバスが来たときやっとほっとしてバスで眠ってしまった。
何故か降りる前で後のおじさんが起こしてくれて助かった。
家につく頃はもう日付が変わっていた。
車がいるなぁ、疲れた。