2006年冬、日本での記録

何を今更と思うが、この前の冬に日本へ帰った時の記録を残しておこうと思う。
12/31~1/20まで三週間、半年振りの日本へ帰ったんだけど、その間日記をつけることは一度もなかった。
というのも日記を書く時間も惜しんでやりたいことをしていたためなんだが。
だからその三週間を必要な部分だけ振り返っておこうと思う。
きっと長くなるから読まなくてもいいです。

家に到着したのは12/31の午後10時頃。
日本の外に出ると日本がよく見えるとはよく言われることだが、まずそれは最初にコンビニに行った時のこと。
あまりのクオリティーの高さに嬉しくて食べきれないほど色々ご飯に、飲み物、お菓子に、アイスにと衝動買いをしてしまった。
アメリカに比べてコンビニは日本の誇れるものの一つであろう。

時差の関係で俺はアメリカの時間の12/30の朝6時には家を出たのに、着いたらもう年越し2時間前。
着いて家族と過ごしその二時間後には年越しということで特別な実感がなかった。

計2日ほど寝てないにも関わらず3時間程睡眠をとると、1/1の始発で恵比寿に向かう。
Takkyuで踊る。
夢の世界だった。
ayuありがとう。

くたくたで帰り、その後二日間程は家族や従兄弟と過ごす。
たまにはいいものだ。

5日は原美術館へ。
オラファー・エリアソンの陰の光という個展を見に行った。
霧に光を投影する作品をはじめとして、アクリルを使った光のインスタレーションがカッコいい。
見とれた。

その後、海太と横浜の赤レンガへ彼の芸大予備校時代の講師のパフォオーマンスを見に行った。
Maruyama Tokio.
現代アートみたいで、すごく抽象的であったが言わんとするものは伝わって来た。
彼は存在と崩壊、または+と-の極限の位置を表現してたに違いない。
もしくはそれらが両立する、双方にまたがる瞬間、ポジションを表していたんだろう。
一番よかったのは、5個の白黒風船に紙コップを吊るし、そこに少しずつ土や葉を入れて行く。
そして風船が浮いてしまう訳でもなく、地についてしまう訳でもない、その微妙で不自然で不思議さを漂わせる、そんな位置を見せていた。
しかし現実的な問題は日本ではアーティストとして飯を食って行くのは難しいということであろう。
日本という国がそういう人を支えて行く姿勢にない、でもそこはアメリカの様に、芸術やアーティストをもっと重んじて重用視する必要があると思う。

翌日6日、森美術館杉本博司の写真展を見に行く。
彼の完成された美に魅了された。
・現実と虚像の間を視覚が往復する<ジオラマ
数学的な模型を光と陰、白と黒で表現する、美しい。
・映画一本分の長時間露光による<劇場>
当たり前だがスクリーンにあたる部分は真っ白に映る。
でも映画一本を一枚の写真に収めるというのはすごいことを思いついたなと思う。
・20世紀の代表的な建築を無限大の倍の焦点で撮影した<建築>
無限大の倍の焦点で撮ったとしても建築はそれに負けず形を表していられるか、という挑戦。
・世界中の水平線を撮り続けた<海景>
空と海が写真のなかで白と黒に二分されていて、一体どこの海なのか判断できないような抽象的な感じ。
能の舞台も用意されていたが、是非見てみたかったものだ。
その抽象的な空間にサウンドデザイナーとして池田亮司氏が極端な高音と低音を浴びせていた。
気に留ったのはこの辺だが、いずれにしても彼の創造と探求は素晴しかった。

その後、SHERBETSのライブへ行く。
現実的にmixiありがとうと思えたある意味初めてのことである。
突然帰国することになった為、行きたいと思うライブなどは全てとうに売り切れている。
ダメのとでコミュニティーにチケットは余っていないかと書いてみた。
一つどころか五つくらい返事があった。
おかげで生ベンジーを見ることができた。
素敵な夜でした。

8日は成人式に出席する。
得に荒れる訳でもなかった。
同窓会にも出て、懐かしくはあったが、正直物足りなさを終始感じてたな。要はつまんなかった。もちろんみんなを上から見るつもりはないけど、それでも、お前らまだこんなんなの?もっと何か考えろよとか、”面白い”人になれよって思った。話してて全然面白くなかった。でも俺はそのみんなの使ってるそのレベルで楽しめてない=MINORITYでしょ。だからむしろ取り残される感じ。乗り切れなくて表情も冴えないので写真も微妙かなぁ。みんな寄ってたかって女の取り合い男の取り合いでまいった。

11日、高校時代の恩師と呑む。
ほぼみんなに嫌われていた先生だが、俺はこの方から面白いものを感じとっていた。
一般に独身ってマイナスにとられがちだが、この方は独身の男の楽しみというものを完全に知っているのではなかろうか。
ここまで来れば結婚してもかえって煩わしいものになってしまうのだろうか。
高三の時、彼が見せてくれた一本の白黒映画”十二人の怒れる男たち”
もっともこれが後に俺の映画に対する姿勢を変えるとは当時思わなかったのだが。
ちょうど、何に大しても俺の好奇心が爆発し始めたころ、絶妙なタイミングでこれを見れたのがまた偶然かもしれない。
よく授業中、好きなことは仕事にしてはいけないと彼は言っていた。
嫌いになってしまうからと。
もう一度今回聞いてみた。
もし俺が映画が好きであったならば、これは仕事に結びつけない方がいいのかと。
彼が言うに、それがあ〜好きかな?程度だったらやめた方がいいということであった。
本当に好きならば、むしろそれを選ぶべきだとも。

12日、塾のバイト時代の仲間と呑んだ。彼は今大学を出て、塾講師として就職し、もう一度勉強がしたいということで僕と同時期に退職し、大学院に入るそうだ。彼はいつも呑んで話すとき難しいけど素敵な言葉を選んで話すから好きだ。今勉強しているというフランス語でメッセージをくれた。今僕も偶然フランス語をやってるから自分で訳せる様になるまでメッセージは謎のままにしておこう。
日本でぐちぐちしてないで早くフランスへ行けー!!

13日、映画の試写会へ。
適当に5つくらい出したら当たった。ラッキーだな。
見たのはThe Legend of Zorro。内容自体は読めてはいたけどまさに”ハリウッド映画”でした;金払ったら絶対見ないけどまぁたまにはこれもいいか笑
それより、その日一ついかつい映画に出会った。
ゲルマニウムの夜
わざわざこの映画の為に東京国立博物館の敷地内に劇場作って、今の日本の映画界にカツを入れるという姿勢で望んだ作品らしく、見る前から期待は膨らんでたけど、期待は裏切られなかった。
映像なのに痛くて、汚くて、臭い。
すげぇパワーのある作品だった。
見れる内に見ることをオススメしたい。
ちなみに主演は新井浩文
彼は目の奥に鋭い何かを持つ。

ついでにこの日東京国立博物館もざーっと見て来た。
西洋美術館が閉まってたというのもあったんだけどね。
でも展示がありすぎて、時間があまりなかったし、全然見きれなかった。
また行こう。

17日、雷門が見たくてりょうと浅草へ行く。
今回の帰国の中でどこか遠くへ行くということはせずに、それよりは見たいものを中心に時間を使ったように思う。
話しかけられて久しぶりに英語を喋るが、英語力予想外にそこまで落ちてるとは思わなかった。

その後、野田秀樹の『贋作・罪と罰』を見ることに。
実はこの日、もう一つ映画の試写会が当たってて、確かフライト・プランかな、運がいいなーと思いつつも、もうアメリカに戻るまでに時間がないということで高いお金を払うのを選んでまで舞台を見に行く。
やはり映画とは違って、観客の目の前で演技するわけだし、失敗したから、はいカット、のようにはいかない。
ニ時間緊迫する。
舞台の構造も、客の中心に配置し、四方からの目に応える。
ドスト・エフスキーの小説を日本の同時代に置き換え、すごい、これは脚本家としてめちゃくちゃうまいなと思った。
『人間はすべて凡人と非凡人との二つの範疇に分かたれ、非凡人はその行動によって歴史に新しい時代をもたらす。
そして、それによって人類の幸福に貢献するのだから、既成の道徳法律を踏み越える権利がある。』
この思想と死を扱う。
野田ワールドを堪能し、そして改めて松たかこは役者なんだなとも感じる。

18日、俺の好きな岡本太郎の写真展を見に行く。
彼は写真ってイメージよりは爆発的な抽象画やオブジェが主な気がするが今回は写真をってことで。
写真の中にも彼独自の姿勢があって面白い。
抽象的ではないが、迫力やパワー、年を重ねた人の味、それから躍動がありすごく良かった。
それから彼の映像を見て思ったことを一つ。
よく人は目を見るとその人がわかると言う。
でもそれって正直言い過ぎなんじゃねぇかと思う。
ほんとかよ。実際あんまりわかんないだろ。
でもそう思ってる俺でも太郎の目は確実にやばいと感じた。
もうギラッギラしてる。
またいい刺激を受けた。

あとは本をたくさん読んだね。毎日東京まで出てたもんだから電車の時間も長くて、でもその時間が案外好きだったりしてね。Book Offで買い込んでアメリカに持ち込んだね。今消化してるところ。
あとは一日一本は映画見たね。普段見れない邦画を中心に。
と、ざっとここまで日本にいる間にしたことをあらすじ的に書き出してみたけど、まぁよく金を使った。
でも感受性が豊かな今こそそうやって自分をより豊かにする為にお金をつぎ込んでもいいのではなかろうか。
自己の行動を正当化する為に言った訳でもないけども、それも一理あるんではないかなということ。

日本へ戻る飛行機の中ではノルウェーの森を読破してすごく満足感に浸り、アメリカへ戻る時には何を読んでたかな。まぁいいや。でも思ったことは、飛行機から、空から地を見下ろすと、人って何て小さいんだろうなって思う。
悩みなんか簡単に吹き飛ばせそう。将来子供が出来て、そいつがすごく悩むようなことがあったら飛行機に乗せて全体えお見下ろさせてあげたいなと思ったね。

長くなったけど、いい帰国になったんじゃないかなと思う。日本を今までの人生の中では一番長く離れて、すごく客観視できるようになったことは嬉しい収穫である。
次帰るのはいつだろうか。
それまでまた突っ走っていこう。