WEEGEEとNY・Guess Whoの監督

日曜日再びGetty Centerまで行った。
というのもWEEGEEの写真展とプレス用の写真展があったから。
WEEGEEはNew Yorkで1930年代から40年代にかけて警察用の無線を拾う事を許されていた写真家。
彼の仕事は主に夜から朝にかけてで死体を撮ったり、火事現場を撮ったり、ゲイの人たちを撮ったり、そんな感じ。
俺が最も動かされた一枚の写真は
二人の女性が恐らく焼けて行く家を見ながら泣いている写真。
しくしく泣いている程度のものではなく、自分の大切な人を亡くす、もう何て言うのかな、これだけはほんと夢にして、最後のお願い、って本当に心から滲み出るような悲しみと絶望を表した目。
一歩引いて考えてみて。
これを目の前にして、彼女らを慰めるより何より、それを冷静にフレームに収める作業をしなければならなかった写真家WEEGEEの辛さ。
彼自身、この写真を撮りながら涙を流していたと言う。
彼のどの写真も、被写体の無意識さが引き立っていたと思う。
カメラを意識していない人々だからこそ、より自然、あたかもその現場に自分がいるようなね。

もう一個の写真展では新聞とか雑誌の為に撮った写真たちがあった。
プレス用だから赤い線でトリミングどこでしたらベストかなーみたいな考えてたのがわかるのもあってまた面白かった。
こっちにはあんま期待してなかったんだけど、そこには戦場カメラマンとして有名なロバート・キャパの写真があった。
彼も一人の兵士としての視点で撮るような写真が多かったように思う。
ぶれているのも、走りながら撮ってる感じで、よりリアルというか。
もちろんわざわざ殺し合いをしている現場にいって撮影を続ける訳だから安全な訳が無い。
より”本物”を撮る為に彼は命まで捧げた。
戦場で殺されてまで撮り続けた彼はどうしてそこまでできたのだろう。
写真に情熱をそこまでかけられたのはもう何とも形容し難い。
それからそこにはマルコムXI have a dreamのスピーチで有名なキング牧師の写真もあって本物が見れると思ってなかっただけに感激した。

こう半日ほど写真に触れてみると素敵な風景を撮るのも好きだけど
やっぱり”人”っていう表現が無限な対象を撮るのは興味深いなって思う。

日付が変わって翌日。
FILM CLUBのゲストスピーカーに"GUESS WHO"の監督でもあるKevin Rodney Sullivan監督が来た。
その映画自体見てないし、質問も用意してこなかったのは今日の機会に勿体なかったなと後悔した。
せっかく目の前に監督が来てるのにね。
でも現役で活躍する監督の考えとかが聞けてまた刺激を受けた。
今年の春以来映像は撮ってないけど、また何か作りたいなって思った。

以上。
11/09/05
2:31 a.m. サンタモニカの自分の部屋より